白江書房

日記とかショートショートとか

秘密のクラブ

 その国では、不倫が死刑になるほどの重罪だった。    

家庭円満こそが国の豊かさにつながる––。その思想を旗印に、政府は家族が永く幸福でいられるよう、あらゆる対策を講じていた。

 若いうちから男女問わず性教育や妊娠の仕組みの学習を徹底させ、ハラスメントを未然に防ぐための道徳的指導を幼い頃から義務付けていた。家庭環境に不安のある家庭には、『育児士』という国家資格を持つ専門家が派遣され、徹底した教育やしつけを代行した。

 そんな中で、特に結婚願望を持たないまま大人になると、政府のAIによって選ばれた異性と結婚しなければならなかった。運送会社の倉庫係として働く鈴木シンタロウもその一人だ。彼は、二年前にAIによってマッチングした公務員の町田ミホと結婚した。ミホは真面目な性格で、適当で軽い性格のシンタロウとは真逆の性格だった。最初の頃は、今まで付き合ったことのないタイプだと、新鮮に思えたが、最近になって飽き飽きし始めていた。

 そんなある日。シンタロウは、作業をしながらふと時計を見る。終業の時間が近づいていた。彼はため息をつく。頭に浮かぶのは、真面目な妻の顔だ。彼女は、いつも真顔で、眉根に皺を寄せていた。そんなミホはシンタロウにとって『つまんねー女』だった。

(あーあ、なんか面白いことねえかな)

そう思っていると、後ろから誰かに肩を叩かれた。振り向くと、線の細い男が笑っていた。

「なあんだ、ハルトか」

「何しけた顔してんだよ」

ハルト––佐々木ハルトは、昔からの友人だった。二人は昔、チャラ男としてその名を馳せていた。特にシンタロウはノリの良さと人懐っこさで、常に周りに女性の輪が絶えなかった。

「実はさ……」

シンタロウは、ハルトに最近の不満を話した。すると、彼はにっこりと笑った。

「だったら、いいところがあるよ」

「本当?」

シンタロウは目を見開く。

「めっちゃ刺激的なところだよ」

ハルトはイタズラっぽく笑った。

 数分後。二人は歓楽街にいた。表通りが一般的な飲み屋しかないのに対し、裏通りには派手なネオンに彩られたキャバクラなどの風俗店が立ち並んでいた。

「ほら、ここだよ」

ハルトは、何の看板もかけられていない建物を指差した。

「何の店なんだよ」

「まあ、入ってみて」

 ハルトは扉を開ける。中は真っ暗だった。暗闇を抜けると、中央に鎮座するバーカウンターの周りを取り囲むように、着飾った人々が酒を飲んでいた。

「やあ、ハルト」

バーカウンターの中で、グラスを磨いていたバーテンダー姿の若い男が右手を挙げた。

「マスター」

ハルトはバーカウンターまで歩み寄る。

「また来たよー」

「きょうも女あさりかい……」

そこまで言ったマスターは、後ろにいるシンタロウの顔に目を向ける。

「お、見ない顔だね」

「紹介するよ。こいつは俺のダチのシンタロウ」

マスターは目を見開く。

「じゃあ、こいつが伝説の『五人斬りのシンタロウ』か」

シンタロウは照れ臭くなった。それは自分がチャラ男時代につけられていた異名のようなもので、一度に五人の女を侍らせていたからつけられていた。

「ここは君にぴったりの場所だよ」

マスターは周りを見回しながら言う。

「ここに法律は存在しない」

 マスターのその言葉を聞いたシンタロウは生唾を飲み込む。

「つまり、不倫し放題だ」

脊髄を突き抜ける背徳感に、彼はにやける。 「お前みたいに、今の嫁や旦那に飽きてきた連中や、俺みたいに遊びたい連中がここに来るんだ」

ハルトはそう言うと、ゆっくりと歩き出す。二人はバーカウンターの隣で酒を飲んでいる女性二人組の前に来る。女性たちはいずれも露出度の高い服を着ており、片方は豹柄、もう片方は黒い服を着ていた。

「君、かわいいねえ。俺と飲まね?」

シンタロウは、チャラ男時代に使っていた言葉で、豹柄に話しかける。

「うん、いいよ」

豹柄は嬉しそうに笑った。

 豹柄の女性はミユと名乗った。

「うちの旦那ねえ……」

ミユは既婚者らしく、夫はいい人だが、真面目すぎて毎日窮屈でたまらないと話た。

「俺も嫁がすごく真面目でさ」

シンタロウとミユは、それぞれの配偶者の愚痴で盛り上がった。そのうち二人は完全に打ち解け、帰りにそれぞれの連絡先を交換した。

 それからもシンタロウはクラブでミユと逢瀬を重ねた。彼にとってミユは好みの女だった。見た目も派手だし、それにノリも軽い。二人はいつも酒を飲みながらたわいのない話をした。さらに盛り上がると、隣のホテルで明け方まで愛し合ったりした。    

ミユとの週一の逢瀬は、シンタロウの生活に潤いと活力を与えた。ミホとのつまらない生活も、ミユのことを思えば乗り切れたし、きつい仕事も耐えられた。その様子はハルトからも調子いいじゃんと言われるほどだった。

もはやシンタロウに怖いものなどなかった。今の自分は、結婚前の元気と活力を取り戻したようなものだった。刹那のスリルと快楽。この感覚がずっと続くと、彼は思っていた。

 そんな蜜月が続いたある日。シンタロウはいつものようにクラブでミユと寄り添っていた。彼女にキスをしようと顔を近づけた、まさにその時––。店のエントランスの扉が凄まじい勢いで蹴破られた。

「動くな!警察だ」

突然の乱入に、狂宴に酔いしれていた一同は一瞬にして凍りついた。

「警察……?そんな、バカな」

マスターが青ざめて頭を抱える。その傍らへ、茶色いコートを着た中年の男性刑事が、ゆっくりと歩み寄った。

「不貞幇助の容疑で、令状を執行する」

年配の刑事は、マスターの手首に手錠をかける。無慈悲な金属音が辺りにこだました時、刑事の顔を見たミユは途端に震え出した。

「嘘……でしょ」

ミユの視線に気付いたのか、中年の刑事がこちらを向く。

「ミユ?」

彼は目を見開いた。

「どういうことだよ?」

シンタロウはミユの顔を覗き込む。

「旦那よ」

「あれが……?」

シンタロウは開いた口が塞がらなかった。

「マジかよ」

旦那が公務員とは聞いてはいたが、まさか警察官だとは思わなかった。どうしようと冷や汗を流していると、背後から不意に肩を叩かれた。振り返ったシンタロウは、我が目を疑った。そこのにいたのはネイビーのスーツに緑色のコートを羽織ったミホだった。

「え……?」

間抜けな声をあげる夫に対し、ミホは冷ややかな笑みを浮かべながら懐から手帳を取り出した。表紙に刻まれた紋章が、鈍く光る。

「お前、公務員だよな」

「……警察も立派な公務員よ」

ミホは夫を射抜くような鋭い視線で、睨みつけた。

「最近、やけに残業が増えたり、変な香水をさせて帰ってきたりしたと思ったら……こんなところでこそこそやってたのね」

「やれやれ、町田くんの夫とうちの妻がお付き合いしてたとはね」

ミユの夫である中年の刑事は、苦笑を浮かべながらも、その目はまったく笑っていなかった。

「そうですね」  

 ミユはにやりと笑った。

「よかったわね」

彼女は二人に目を向ける。

「これからは地獄でずっと一緒にいられるわよ」